序章 プロローグ

「おかえりなさいませ」

玄関から入ってきた少女に向かって、メイドのおばさんが極めて事務的に言った。

「ただいまです」

返事を返した少女は、人当たりのいい笑顔を浮かべてはいたが、やはり事務的な物言いであること
に違いはなかった。

無意味に広い家。上流階級とでも言うのだろうか。

無意味に高級そうな彫刻が並べられている廊下を抜けて自室に入る。

鞄を机の横に掛けてから私服に着替えた後、再び部屋を出て食卓へ。

「真奈お嬢様、食事の用意ができています。」

やはり事務的な口調でおばさんが言う。

(いつも思うけど…マニュアルでもあるのかな?)

心の中でそんな事を考えつつ、用意されていた夕食を食べる事にする。

少女が夕食を食べはじめたのを確認するとおばさんはヤレヤレと溜め息を吐いて部屋を出ていった。メイドのおばさんのお仕事はここまでだ。

夕飯の後片付け以降の家事はすべて自分でやることにしていた。

一人の食事。

もう慣れっこだとはいえ、やはり寂しいものがある。

味もろくに分からない夕食をほとんど残して後片付けを始めた。

(今日はご飯食べる気分じゃないな…)

一応、今日は彼女の誕生日だったのだが、誰もそのことに気付いた人物はいない。

もちろん、両親でさえも忘れているのだろう。

そして、一週間くらいすぎた頃にメイド経由でお金が届くのだ。

それはもはや数年前からの恒例行事でもある。

これが自分で気付いてくれるのならまだいい。

でも、両親が彼女の誕生日だと気付くのは、彼女が印を付けたカレンダーを見た後なのだ…。

 


夕食の後片付けを終えて入浴をすませると、自室に戻って授業の復習を始める。

今時、予習復習をきっちりやる学生も珍しいものだ。(たぶん)

とはいえ、断じて勉強が好きなわけではない。

しかし、他に趣味を持ち合わせない彼女にとっては勉強もいい暇つぶしにはなる。

「…あれ、ノートがなくなっちゃった…」

いそいそと外着に着替えて買い出しに。

しかし、彼女は気付いていない…机の引き出しの中には、以前購入していた『5冊セットノート』が3冊程残っていたことに…。

「えーと、他には…シャーペンの芯も残り少ないなぁ。消しゴムも一応買っておくとしてぇ…」

必要なものを軽くメモして(こうしておかないと忘れるからだ)準備万端、いざ部屋をでる。

………机の上には愛らしいニャンコがプリントされた財布が少しだけ寂しそうに佇んでいた…。

 

「あれ?あれれ?」

数分後、某コンビニで店員の怪訝そうな視線を全く気にせずポケットの中を探る真奈の姿があった。後ろに人が並んではいるのだが、真奈は全くそれに気付いていない。

別の店員があまっているレジに付き、お客の列を流しはじめた。

「おさいふ〜おさいふ〜」

歌うように呟きながら何度も同じポケットを探る。

…忘れたという発想はないのか…?

「おさいふ〜おさいふ〜……うー」

ようやっと『忘れた』という結論に到達しようとした時、すっと代金が支払われた。

「え?」

真奈がキョトンとして差出人を見ると、ニコリと微笑みかえした。

青いジーンズに黒いTシャツ。きりっと整った精悍な顔。その男は後輩の神取亮だった。

「サイフ忘れたんでしょ?俺が立て替えときますよ、先輩♪」

亮が調子のいい笑顔を見せると、店員は二人が顔見知りと判断したらしく、さっさと会計を済ませてお釣を返した。

袋詰めされた商品を亮が受け取って、真奈を促して外へ出る。

「はい、先輩。」

亮が軽く笑いながら文房具を真奈に手渡す。

「まぁ、先輩らしいというかなんというか。」

「これはこれはお恥ずかしい所をお見せしてしまって…」

真奈が袋を受け取って深々と頭を下げてから言葉をつなぐ

「ところで…」

「ん?」

「どちら様ですか?」

予想だにしなかった言葉に、亮は盛大にずっこけた。

「あ、あ、あのねぇ…後輩の神取亮っスよ。」

「あー」

納得したようにポン!と手を叩く。

「私服なので気付きませんでした。」

起き上がった亮に追い討ちパンチ!亮は再び盛大にこける。

「?」

真奈がキョトンとすると、亮がヨロヨロと起き上がりながら

「制服でも私服でも顔は変わらないんすけど……」

いって力尽きた。

「……それもそうですねー」

真奈がまたポン!と手を叩いて言った。

亮は苦笑いを浮かべて立ち上る。

「一発ハリセンでツッコんでやろうか…」

ぼそりとつぶやいたが、真奈には聞こえなかったらしい。

てゆーか、『根性』と書かれたハリセンを握り締めていることにも気付いていないらしい。

「えーとぉ、神取さん、これから家にいらしてください。お借りしたお金をお返ししますから。」

「あー、これからちょち用事があるんで、明日でいいっすよ。」

「そうですか?それでは明日ですね。」

いってぺこりと頭を下げる。亮も軽く頭を下げてから待ち合わせの場所へ向かった。

その背中を見送ってから真奈も家路につく。

 

亮と別れたあと、家に帰る前に岡台の公園に立ち寄った。

別に用事があったわけではない。

ただ、普段からぼーーーっとしている(失礼)真奈にとって、人気がなくしずかなこの公園はお気に入りの場所なのである。

満月の月明かりが優しく辺りを照らしている。

そんな月に魅入られるように空を眺めていた。

(何を…しているんだろう…)

やりたくもない勉強をして、どう考えても低能な同輩と時を共に過ごす。

こんな人生にどれほどの価値があるだろうか?

取り繕ったような知識で会話して間に合わせの話題で盛り上がる。

どこか遠くの国で起きた戦争を人事のように語りながら、平和な時間を無駄に浪費する。

平凡に生きて平凡に死ぬ……それが人生と言うものだろうか…?

(誰か…私を助けて…)

この世界から抜け出したい。

どこか…自分の居場所がある世界へ行きたい。

上流階級のお嬢様という仮初めの居場所じゃない。

自分が須崎真奈として存在し続けられる世界へ連れていって…。

 

(助けて………)

「…え?」

急に声が聞こえて辺りを見回した。

(誰か…助けて…)

奇しくも自分が今、心の中で誰にとも無く
投げかけた言葉だった。

(このままじゃ…壊れちゃう…なにもかも…)

「壊れる…?」

一体どこから聞こえる声?

(誰か…助けて!!)

声が一際大きくなったかと思うと、
辺りが眩しい光に包まれる。

「まぶしい…」

呟きながらポケットを探った。

「サングラス〜サングラス〜」

当然、そんなもの持ち歩いていない。

「サングラス〜………?」

両手でポケットの中を探っていた真奈がふと動きを止める。

周りは依然眩い光を放っていたが、次第に
足の下の感触がなくなってきた。

次に浮いているような落ちているような不思議な感覚。

その光の中で真奈はなにかを祈るような少女の姿を見た。

「…あなたが私を呼んだんですか…?」

少女に向かって呼びかける。

少女を驚いたようにこっちを見た。

眼があった瞬間、眩い光も不思議な浮遊感も消えていく。

そして、自分は意識を失っていた…。






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